家庭教師を呼び出そう
まったく新しいモノづくりに挑戦するならば、最初にやるべきことは、今までのTのやり方を「捨てる」ことだったのである。
当時の時代背景と言えば、一九九○年代、世界の製造業がリーン生産方式の名でT生産方式を一斉に導入していた段階である。
そのなかにあってT自動車九州は、自らの考えで”Tを超える”ポスト・T方式というべき次のシステム構築に取り組んでいたわけだ。
Kが知っている限りのTでは、実はこういった常識破りの思考は珍しいことではない。
むしろ工場長クラスともなると、そういうものの考え方ができ、実現に向けて全体的なシナリオを描いていける能力が必要とされている。
そういう能力に久しぶりに接したことで、いかにもTらしいなという印象を持ったわけである。
Tと言えば一般的には、自社およびグループの全工場がT生産方式を徹底して一律に展開している、といった金太郎飴的な集団の印象を持たれている。
それがTの強固な優位性をもたらすものであることは述べたが、それは基軸となる価値観を共有することであって、展開の仕方はT系の各社・工場単位ごとの自主的な経営が基本になっている。
けっしてT生産方式の出来合のシステムすべてを横並びで無条件に受け入れなければならないというのではなく、そうすることはむしろT精神に反することになる。
T生産方式がTグループのなかで衆目の一致する揺るぎのないポジションを獲得していた七○年代には、グループの共有財産としてまずは「導入」(学習)することが、ある種、義務づけられた時代があった。
ただし、いったんなかに取り入れて自分のものにしてしまうと、今度はそれをどう踏み越えていくかを考えるのがT的なのだ。
がって、T系の工場というのは、トップを含む人材によって、意外にも工場間でかなりのしたがって、普通に考えれば当たり前の話ではあるが、そこにどういう人がいるかによって工場のレベルや成績が決まっている。
戦略的な思考に長けていて、それを実現していく適切な切り口を提示できるようなリーダーがたまたまいれば、その工場は圧倒的に強くなる。
逆に、そういう人材がいなければ、Tと言えども生産性の悪い工場というのもありうる。
みな等しくT生産方式という道具を持ってはいても、実際の工場では「そこにいる人材の質」によって成果やアウトプットに著しいバラツキが存在しているのである。
もう一つ重要なことは、Tでは何か新しいことに取り組むとき、必ず「その目的は何か」「それをやれば勝てるのか」と考え詰めて判断、評価をする思考的な習慣がある。
さかのぼればT生T自動車九州は二時間ローテーションという興味深い活動をやっている。
工場では朝八時から十時までニ時間働いて休憩してまたニ時間働き、午後は一時からニ時間働いて休憩してまた二時間働く。
例えば一〜十工程まであるとすると、午前十時の休憩が終わったら一工程を担当していた作業員は二工程に移り、順送りにスライドして最後の十工程を担当していた作業員は一工程に戻るというローテーションを二時間おきに繰り返す。
一日は八時間労働なので四工程分が移動し、ニ日半たつと一周して元の工程に戻る。
仕事量は各工程で十分の一に作業分割するのは難しく、三工程目は非常に忙しいが五工程目はその作業量の八割程度という具合に各工程にバラツキがある。
普通の工場では工程の配置は固定されてい産方式も、「いかに効率よくモノをつくるか」という生産性の追求から生まれたのではなく、自動車メーカーとしての存亡の危機のなかで、「生きるために勝つ」ことを目的にして必死で知恵を絞ったなかから生み出されてきたというルーツを持っている。
「それをやって勝てるかどうか」というのは、Tのなかで歴史的に最も重視されてきた判断基準と言っていいだろう。
それを踏まえて行われることならば、たとえ自己否定的なことであっても容認される、むしろ評価されるといった土壌がTにはある。
そういう意味でも、先のT自動車九州の社長の発言は「Tらしい」のである。
三工程目の人は毎日忙しくて大変だが、五工程目の人は楽勝である。
しかしこれをニ時間ローテーションとして全員が三工程目の仕事を担当することにすると、全員が三工程目の改善をなんとかしなければという「共通認識」を持つ。
一人だけ仕事が大変で困っていても改善の動きは出にくいが、職場の全員がその大変さを体験すれば一挙に「なんとかしよう」となる。
二時間ローテーションでは各工程の問題を全員が共有して抱えることになり、何をどこから手をつけていけばよいかがオープンに議論され、みんなが知恵を出そうという気になり、速やかに改善される仕組みがつくられている。
優れた個人が才能から知恵を生み出すのではなく、みんなが助け合って知恵を絞り出すところが日本的なアプローチである。
二時間ローテーションの話は『日経ビジネス』にも紹介されたことがあるが、その目的としては多能工育成としてしか説明されていない。
しかし、実はこれも知恵を出させる仕組みなのである。
「常識はずれ」の自主的勉強会「なぜTは変わり続けられるのか」を考えるうえで特にSが着目したのは、Tで継続的に行われている「自主研」と呼ばれる活動であり、特にその創成期の活動である。
Tの人たちが身につけている「基軸」としての規範というのは、当然、マニュアルで伝えたり、教え込んだりして教育できるような性質のものではない。
独学で勉強するとか、一方的なレクチャーによって知識を詰め込んでも体得することはできない。
ある「用意された環境」に身を置くなかで、自然に培われていくような性質のもの、と言ったほうがいいだろうか。
それは、知識として「知っている」というレベルの問題ではなくて、一種の運動神経のようなものとして鍛えられている「知恵」なのである。
水泳にしても自転車にしても、いくら座学で泳ぎ方について、自転車の乗り方について理論的に勉強してみてもうまくはならない。
実際に何度も繰り返しやってみて、体で覚えるしかない。
運動神経というのはそういうものだ。
Tの長い歴史を見てみると、当然のことながら、「経営マインド」を持っている人もいたし、そうでない人もたくさんいた。
にもかかわらず、さまざまな改革が行われる主要な場面で経営マインドを持ったキーマンがそれなりの役割を果たすポジションにきちんといるのは、何か理由があるはずである。
特に、保守的で上意下達の指示待ち文化が生まれやすい製造部門に、他社と比べて、そういう指示待ち傾向が少ないのはそれなりの理由があるはずなのである。
Tの場合、「経営マインド」を持った人々を育てるのに寄与しているのは、学校を卒業した後にTに入ってきた人を技能員に育てていく全寮制のT学園の存在や、生産性評価制度の役割などがあるが、「考える」風土を根づかせ、ネットワークをつくる力となった初期の頃の自主研の役割は大きい、とSは考えている。
Tの自主研は、一九七六年にTグループ各社が集まって「T生産方式自主研究会」が組織されたところからスタートしている。
通常、自主研と言うと、生産現場の改善のためのインフォーマルな小集団活動というとらえ方が一般的である。
もちろんTの自主研も、最初はモノづくりの「ムダを見つけて徹底的につぶす」ことから始まっている。
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